DIALOGUE
Vol.01|クリエイター井上三太
漫画 × ストリートカルチャーを融合させ、若者たちの情熱をストリート漫画として表現した巨匠 井上三太。「KING OF STREET COMIC」ともいわれ、今なお衰えることない彼の創作意欲は、一体どこから来るのか? 2050年の裏原=通称ネオ原(ネオウラハラ)をコンセプトに掲げるアパレルブランド『NOLF』をスタートさせたNIKO24。NFTプロジェクトNeoTokyoPunksのファウンダーとしても活躍する彼は、ここからどこへ向かうのか? 『TOKYO TRIBE2』の著者である井上三太氏と『NOLF』デザイナー NIKO24が「裏原文化×洋服×漫画」について熱く語った。 井上三太|漫画家・アーティスト 1968年フランス・パリで生まれ、その後、東京、L.A.と拠点を移す。 1989年に『まぁだぁ』でヤングサンデー新人賞を受賞し漫画家デビュー。架空の町“トーキョー”に生きる若者達の日常を描く『TOKYO TRIBE』(1993年出版)は後にシリーズ化され、現在も世界感のつながった新作を発表し続けている。なかでも1997年に発表された『TOKYO TRIBE2』はファッション誌『Boon』で連載、2006年アニメ化、2014年夏には園子温監督によって実写映画化されるなどロングヒットに。また『隣人13号』は2005年に実写映画化され話題を呼んだ。最新作「惨家(ザンゲ)」はヤングチャンピオン(秋田書店)にて2021年3月〜現在連載中。 本業の漫画家以外にも楽曲制作やDJ、ストリートウェアブランド「SANTASTIC!WEAR(サンタスティック!ウェア)」デザイナーとしての顔を持つ。 「SANTASTIC!WEAR」は2002年に渋谷に旗艦店をオープン。ストリート好きな若者に絶大な支持を得ていたが、2017年の渡米を機に惜しまれつつ閉店。現在はオンラインを中心にアイテムをリリースしている。 https://santastic.shop/ NIKO24| Neo Tokyo Punks ファウンダー・デザイナーhttps://twitter.com/fukusta343 NFTプロジェクトNeo Tokyo Punks のクリエーター兼ファウンダー。NeoTokyoPunksは2050年の東京を舞台にしたストーリーを元に作成された、2222人の若者たちの横顔イラストが特徴的なNFTコレクション。 2023年にはデザイナーとしてアパレルブランド『NOLF』をDAOメンバーと共にスタート。初リリースとなった2023...
Vol.01|クリエイター井上三太
漫画 × ストリートカルチャーを融合させ、若者たちの情熱をストリート漫画として表現した巨匠 井上三太。「KING OF STREET COMIC」ともいわれ、今なお衰えることない彼の創作意欲は、一体どこから来るのか? 2050年の裏原=通称ネオ原(ネオウラハラ)をコンセプトに掲げるアパレルブランド『NOLF』をスタートさせたNIKO24。NFTプロジェクトNeoTokyoPunksのファウンダーとしても活躍する彼は、ここからどこへ向かうのか? 『TOKYO TRIBE2』の著者である井上三太氏と『NOLF』デザイナー NIKO24が「裏原文化×洋服×漫画」について熱く語った。 井上三太|漫画家・アーティスト 1968年フランス・パリで生まれ、その後、東京、L.A.と拠点を移す。 1989年に『まぁだぁ』でヤングサンデー新人賞を受賞し漫画家デビュー。架空の町“トーキョー”に生きる若者達の日常を描く『TOKYO TRIBE』(1993年出版)は後にシリーズ化され、現在も世界感のつながった新作を発表し続けている。なかでも1997年に発表された『TOKYO TRIBE2』はファッション誌『Boon』で連載、2006年アニメ化、2014年夏には園子温監督によって実写映画化されるなどロングヒットに。また『隣人13号』は2005年に実写映画化され話題を呼んだ。最新作「惨家(ザンゲ)」はヤングチャンピオン(秋田書店)にて2021年3月〜現在連載中。 本業の漫画家以外にも楽曲制作やDJ、ストリートウェアブランド「SANTASTIC!WEAR(サンタスティック!ウェア)」デザイナーとしての顔を持つ。 「SANTASTIC!WEAR」は2002年に渋谷に旗艦店をオープン。ストリート好きな若者に絶大な支持を得ていたが、2017年の渡米を機に惜しまれつつ閉店。現在はオンラインを中心にアイテムをリリースしている。 https://santastic.shop/ NIKO24| Neo Tokyo Punks ファウンダー・デザイナーhttps://twitter.com/fukusta343 NFTプロジェクトNeo Tokyo Punks のクリエーター兼ファウンダー。NeoTokyoPunksは2050年の東京を舞台にしたストーリーを元に作成された、2222人の若者たちの横顔イラストが特徴的なNFTコレクション。 2023年にはデザイナーとしてアパレルブランド『NOLF』をDAOメンバーと共にスタート。初リリースとなった2023...
Vol.02|裏原 CALLING
裏原カルチャー 夜明け前… 井上三太氏(以下 三太):裏原の話、したいんですよね(笑)NIKO24:はい(笑)ただ、僕は世代的にはちょっと下なんです。 三太:そうなんですね。僕もど真ん中にはいないけど、デビューしたての頃、面白い編集者がついて、色々な面白い所に連れてってくれて…ある日の飲み会で『宝島』[※注1]の編集者を紹介してくれました。もともと『宝島』が大好きだったんで、その方ともすぐに仲良くなりました。 当時、僕はまだ若くて、19歳か20歳くらいだったかな…モデルできるかって言われて。AIR JORDAN履いたり、スパイク・リーが映画を撮った後だったので、そのT-sh着たりして。その頃から漫画以外にも、いろいろと活動していましたね。その頃、遊んでいた仲間の中にスケシン[※注2]って人が来て、一緒に飯食いに行ったんですよ。そしたら、そのスケシンさんが藤原ヒロシ君[※注3]と友達だって言うんです。ヒロシ君、いや当時はヒロシ君なんて呼んでないけど、藤原さんの家に遊びに行きました。その時にスケシンさんが、ヒロシ君はちょっと年上だけど「クン」て呼ばないとだめだよって。それより上の世代の、もっと怖い(笑)先輩たちは体育会系だったんですけど、裏原時代の人たちからは、その辺を平らにしていこうってことで、ため口にしようみたいのがありました。 ちょうどその頃、フジテレビの深夜枠で高木完さん[※注4]とか藤原ヒロシ君がTV番組を持っていて、RUN DMCとかadidasの靴とか服とか着だして、なんかHIP HOPが流行っているらしいって言われ始めてたんです。当時、宝島はパンクとかロックをメインにやってたのに、高木さんとかヒロシさんが、ロンドンとかニューヨークからHIP HOPが流行ってきてるらしいって言って、服装を変えていったんですよね。その後、スケシンさんと仲良くなって、事務所に遊びに行ったら『宝島』によく出てるNIGO君[※注5]っていう、なんかゲームオタクの男の子みたいなのがいて (笑)みんなで何かやるっていうわけですよ。オモチャ作るとか最初言ってて。『BOUNTY HUNTER』[※注6]でオモチャ作ったりして。そうこうしているうちに、ある時みんなでブランドやるって言いだして … …えーって思っていたら、それぞれがお店を持ち始めたんですよね。NIKO24:みなさんどうやって洋服作りの勉強したのでしょうか。三太:みんな文化服装学院とか新宿モード学園とかに通って、洋服のことはある程度勉強していたとは思います。ただ、それ以前は洋服のデザイナーになりたいんだったら、ちゃんとした学校に行って、弟子として有名な先生についたりしないと、洋服なんか作れなかったんです。そこにちょうどMac(Macintosh)が登場して、Adobe IllustratorとかAdobe Photoshop使えば入稿できるってことになっちゃって。僕もシンちゃん(スケシンさん)から、Mac買った方がいいよって言われて、大変な思いをしてMacを買ったんですよね (笑)今考えると、あれが夜明けでしたね。漫画家でMacを使ってる人なんて誰もいなかった。そう言った意味では、テクノロジーっていうのは、時代が変化するキッカケなのかもしれないですね。いま、NIKO24さんが手掛けているNFTやweb3.0も、時代を変えていく技術なのかもしれませんね。 ※注1 宝島|宝島社から発行されていた看板雑誌。ストリートファッションやロックバンド特集など、当時の若者のバイブルとして人気を呼んでいた。 ※注2 SKATE THING(スケートシング)|日本のイラストレーター/グラフィックデザイナー。ファッションブランド「C.E」のデザイナー。80年代後期から90年代にかけストリートファッションのアパレルブランドの立ち上げ、デザインに参画。(主なブランド:グッドイナフやア・ベイシング・エイプ) ※注3 藤原ヒロシ|ファッション・カルチャープロデューサー、ミュージシャン。1990年代パンク、スケートボード、ヒップホップのストリートカルチャーをファッション・芸術と融合させ、NIGO氏・高橋盾(JONIO)氏らと共に裏原宿系ブームを牽引。2022年5月26日、LOVEをはぐくむ家族型ロボット『LOVOT(らぼっと)』を開発するロボットベンチャーのGROOVE X 株式会社のCCO(チーフ・クリエイティブ・オフィサー)に就任。 ※注4 高木完|日本のヒップホップミュージシャン、DJ、音楽プロデューサー。K.A.N CO.LTD代表取締役。1988年に、高木完、藤原ヒロシ、屋敷豪太、工藤昌之(K.U.D.O.)、中西俊夫(ex プラスチックス)の5人により、日本初のヒップホップを中心としたクラブミュージックレーベル“メジャー・フォース(MAJOR FORCE)”を設立。...
Vol.02|裏原 CALLING
裏原カルチャー 夜明け前… 井上三太氏(以下 三太):裏原の話、したいんですよね(笑)NIKO24:はい(笑)ただ、僕は世代的にはちょっと下なんです。 三太:そうなんですね。僕もど真ん中にはいないけど、デビューしたての頃、面白い編集者がついて、色々な面白い所に連れてってくれて…ある日の飲み会で『宝島』[※注1]の編集者を紹介してくれました。もともと『宝島』が大好きだったんで、その方ともすぐに仲良くなりました。 当時、僕はまだ若くて、19歳か20歳くらいだったかな…モデルできるかって言われて。AIR JORDAN履いたり、スパイク・リーが映画を撮った後だったので、そのT-sh着たりして。その頃から漫画以外にも、いろいろと活動していましたね。その頃、遊んでいた仲間の中にスケシン[※注2]って人が来て、一緒に飯食いに行ったんですよ。そしたら、そのスケシンさんが藤原ヒロシ君[※注3]と友達だって言うんです。ヒロシ君、いや当時はヒロシ君なんて呼んでないけど、藤原さんの家に遊びに行きました。その時にスケシンさんが、ヒロシ君はちょっと年上だけど「クン」て呼ばないとだめだよって。それより上の世代の、もっと怖い(笑)先輩たちは体育会系だったんですけど、裏原時代の人たちからは、その辺を平らにしていこうってことで、ため口にしようみたいのがありました。 ちょうどその頃、フジテレビの深夜枠で高木完さん[※注4]とか藤原ヒロシ君がTV番組を持っていて、RUN DMCとかadidasの靴とか服とか着だして、なんかHIP HOPが流行っているらしいって言われ始めてたんです。当時、宝島はパンクとかロックをメインにやってたのに、高木さんとかヒロシさんが、ロンドンとかニューヨークからHIP HOPが流行ってきてるらしいって言って、服装を変えていったんですよね。その後、スケシンさんと仲良くなって、事務所に遊びに行ったら『宝島』によく出てるNIGO君[※注5]っていう、なんかゲームオタクの男の子みたいなのがいて (笑)みんなで何かやるっていうわけですよ。オモチャ作るとか最初言ってて。『BOUNTY HUNTER』[※注6]でオモチャ作ったりして。そうこうしているうちに、ある時みんなでブランドやるって言いだして … …えーって思っていたら、それぞれがお店を持ち始めたんですよね。NIKO24:みなさんどうやって洋服作りの勉強したのでしょうか。三太:みんな文化服装学院とか新宿モード学園とかに通って、洋服のことはある程度勉強していたとは思います。ただ、それ以前は洋服のデザイナーになりたいんだったら、ちゃんとした学校に行って、弟子として有名な先生についたりしないと、洋服なんか作れなかったんです。そこにちょうどMac(Macintosh)が登場して、Adobe IllustratorとかAdobe Photoshop使えば入稿できるってことになっちゃって。僕もシンちゃん(スケシンさん)から、Mac買った方がいいよって言われて、大変な思いをしてMacを買ったんですよね (笑)今考えると、あれが夜明けでしたね。漫画家でMacを使ってる人なんて誰もいなかった。そう言った意味では、テクノロジーっていうのは、時代が変化するキッカケなのかもしれないですね。いま、NIKO24さんが手掛けているNFTやweb3.0も、時代を変えていく技術なのかもしれませんね。 ※注1 宝島|宝島社から発行されていた看板雑誌。ストリートファッションやロックバンド特集など、当時の若者のバイブルとして人気を呼んでいた。 ※注2 SKATE THING(スケートシング)|日本のイラストレーター/グラフィックデザイナー。ファッションブランド「C.E」のデザイナー。80年代後期から90年代にかけストリートファッションのアパレルブランドの立ち上げ、デザインに参画。(主なブランド:グッドイナフやア・ベイシング・エイプ) ※注3 藤原ヒロシ|ファッション・カルチャープロデューサー、ミュージシャン。1990年代パンク、スケートボード、ヒップホップのストリートカルチャーをファッション・芸術と融合させ、NIGO氏・高橋盾(JONIO)氏らと共に裏原宿系ブームを牽引。2022年5月26日、LOVEをはぐくむ家族型ロボット『LOVOT(らぼっと)』を開発するロボットベンチャーのGROOVE X 株式会社のCCO(チーフ・クリエイティブ・オフィサー)に就任。 ※注4 高木完|日本のヒップホップミュージシャン、DJ、音楽プロデューサー。K.A.N CO.LTD代表取締役。1988年に、高木完、藤原ヒロシ、屋敷豪太、工藤昌之(K.U.D.O.)、中西俊夫(ex プラスチックス)の5人により、日本初のヒップホップを中心としたクラブミュージックレーベル“メジャー・フォース(MAJOR FORCE)”を設立。...